まともじゃない

ポエム置き場です

若者たちのすべて

「まだ夢を諦めるほど老けてもいないし、もう夢を追えるほど若くもない」。浅野いにおの漫画にでも出てきそうなセリフだ。でも私は諦めたくなかった。ユキオのことを。一生で一番好きになった人と結婚したいと思った。

「どちらかといえば、邦画が好き」とナツが言うと、ユキオはどんなの?と聞いた。
ジョゼと虎と魚たち」「ストロベリーショートケイクス」それから、少し考えて「ハチクロとか」と言った。ナツなりの気遣い。ユキオはどれもピンときていないようだった。
ハチクロ見たことない。今度一緒に見ようか」。
好きな映画の話をしても盛り上がらないので、共通の友人の噂話を持ち出す。ゴシップ系はダメ。ユキオは人の悪口は嫌いじゃないけど、悪口を言う女がかわいいわけもない。

思えば、ユキオとナツには共通点が少なかった。恋愛がはじまるきっかけは、ささいな共通点探しからだと思う。まずは見た目から入り、音楽の趣味、休日の過ごし方、「ものの見方」なんていうと大げさだが、結局は同じ匂いのする者同士でくっつくものだ。
 ナツは、はじめからユキオのことが好きだった。ごついスポーツブランドの時計は日焼けた彼によく似合っていたが、趣味ではなかった。寒い日はダウンじゃなくて、ウールのコートを着てほしかったし、夏の日は無地のシャツでも羽織ってくれたらよかった。それでも、休日に部活のユニフォームを着るユキオのことを誰より愛おしく思っていた。

付き合おうと言ったのはユキオのほうだった。ナツに迷いはなかったが、その時は別の男がいたので、一応、「待ってほしい」と伝えた。返事を待たせている数日は、なにをするにも身が入らず、そして、ユキオもそうであることが嬉しくて仕方なかった。ゴミを出すだけなのに口紅を塗ったり、電車ではなるべく憂いな表情でいた。もし偶然会ったらと考えるだけで心から乙女になった。そして、迷うふりをして彼を翻弄させている間、自分がとてもいい女になったような気がした。
その時付き合っていた男はナツのことをとても大切にしてくれた。まだ学生の身分なのに、ケッコンしようと本気で考えているらしかった。夜中にコンビニのバイトをして貯めたお金で、私にはびた一文も使わせず、財布を出すそぶりだけで感激してくれるような男だった。趣味も悪くなかったし、このままいけばその男とケッコンしていたかもしれない。ただ、ナツは男に愛されている自分を愛しても、男を心から愛することはなかった。

「大好きな人と結婚したいって思うの。それが、私にとってはユキオなの」

別れてもうどれくらい経つだろう、ひい、ふう、みと数えると随分年月だけは過ぎたようだ。ユキオと別れた後、ナツは何人かと付き合い、そのそれぞれは決して悪い恋愛ではなかった。その時は男を大切に思ったし、時には誇らしげに友人に紹介したりもした。それでも、ナツはふとした瞬間に気づいてしまっては興ざめした。それがぜんぶユキオを忘れるための行為であること。

「なにを言われても、もう別れる。気持ちは変わらない。出会うのが早かったね。最後の人ならケッコンもできたのに」。理論で丸め込もうとするナツから逃げるように、まくしたてたユキオの言葉がまだ刺さっている。毎年、夏の終わりが憂鬱なのは、陽が落ちるのが早くなるせいだけじゃない。

「なに見てるの?」「Facebook」「珍しいね。そういうの嫌な気分になるから見たくないって言ってたのに」。ナツの手はユキオの投稿を見つけて止まり、お盆に帰省して地元の友達とはしゃぐ彼の姿を捕えた。少し大人びたかもしれないけど、確かにユキオ。知らない世界のユキオが、ユキオらしさを失わないことだけが救いだった。
それでも、いつ最悪の知らせが届くかと不安でいる。
「ナツの実家、いつ行こうか。手土産はお酒じゃないほうがいいんだっけ。ご両親とも苦手なんでしょ」。男の言葉にうわごとのような返事だけ返し、ナツは迷っていた。今夜にするか、明日でもいい、ううん、式の直前でもいい。
「もしもし、久しぶり。あのさ、突然なんだけどね、わたし、結婚しちゃうけど、いい?」。ユキオはぞっとするだろう。噂は知り合いじゅうをかけ回って、心配した親友から連絡がくるかもしれない。「あんた、ヤバいよソレ。マジでホラー」。
それでも確認したい気持ちがナツのなかから消えず、時折発作のように激しく襲ってくるのだ。

まだ残したままの彼の番号をじっとながめる。昔は眺めすぎてそらで言えたが、今はさすがに新鮮な文字列にみえた。いちど画面にふれる。「ユキオに発信」。また一度触れたら、出てはくれなくてもユキオのもとに通知が届く。彼は4年ぶりの連絡に、何事かと思うだろう。かけなおすか、もう一度かかってくるのを待つか悩むだろう。その時間だけは私のことでいっぱいになる。ナツはそれだけで心臓がばくばくした。人生でほんの数分、大好きな人を悩ませることができる権利。使えるのは一度きりだと、なんとなく、確かに感じていた。
もういちど画面に手が触れる。プ、プ、プ、発信音に合わせて鼓動がスピードを上げる。

「おかけになった番号は現在使われておりません。番号をお確かめの上、もう一度」

ベランダで死にかけのセミが鳴いている。夏が終わろうとしていた。
「この時期になるとさ、志村の声ききたくなるね」と彼が言った。